ある噂によると、私は男とも思われていますし、女とも思われています。正直にいいますと「おとこ女」です。私が男であろうと女であろうと、世の中に変化はありません。時は進み、技術も革新され、世の中の人々のライフスタイルも変わっていくものです。

時代は進み、マーケットも変化し、いつの間にか自分自身が時代から取り残されるものなのかもしれません。事業家であれば、できるだけ、マインドをオープンに保ち、どこに経済の歪みが発生して、資金が滞留しているのか、たまはそこに参入できる余地があるのかを常に考え、ウォッチしていかなければなりません。できるだけマーケターとしての命を延命することが大事になります。フォーカスするマーケットに参入する時には、資金も必要だし、ノウハウも必要だし、人脈も必要になります。そして何よりも信用力が問われます。そういった、チャンスが到来した時に、一気にゲットする力を蓄えておくということが、「生きるの戦術の一つ」にもなります。

  • チャンスが到来した時に、一気にゲットする力を蓄えておく

SM的に言えば、チャンスが到来した時に、パートナーを獲得できるように、技術やコミュニケーション能力を培っておくということになるのでしょうか。

生きるにあたって結構重要なのは、何が真実なのかということを見極める力だと思っています。真実にはいろいろあって、物事の一側面を見た評価もその人には真実だし、他の側面から見た評価もまた真実、そして内側から見た評価もまた真実です。見極めるとは、いろんな側面から、バランスのとれた真実を見出すことかなと思っています。個々の真実の重なりの中に、真なる真実「コア」を見いだすことが大事なのかなと思います。

例えば、人生を送るにあたって、どこにフォーカスして、何に向かって(方向性)、自分の力を注力すればいいのかという問題を解決したいとします。人生の「真実を見つける」というものでしょうか。先に述べたような細かな「生きる戦術」は様々あり、個々に準備するとして、もう少し高次な目的が欲しくなります。しかも、わかりやすく自分の中に植え付けたいものです。

「お金持ちになる」とか「幸せになる」というのは、高次だけれど、高次すぎて最終目的に近い欲求や戦略だったりするので、その中間あたりになにか、手段でもあり目的でもあるような「触媒」が欲しいものです。高次、低次の欲求の中のバッファーといってもいいのかもしれません。

低次の細かな「生きる戦術」と、高次の欲求や戦略の間にある中間戦略というものでしょうか。その中間戦略は、複数あってもよく、たくさんあっていいと思っています。例えば私は以下のような中間戦略を作りました。

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中間戦略とは、「青の領域を小さくし、素早く赤い領域に踏み込み、踏み込んだら赤い領域を無限に拡大していく」ということでした。

この図は、人それぞれ違うものです。基本となる自分自身の主観できめた自分自身のもう一つの選択肢でもある「ノーマルな人生」(青い曲線)は、「自分がチャレンジしない生き方を選択したらどうなるのか」という主観で描く曲線でいいと思っています。x軸に不幸度合いを、y軸を年齢とし年齢ととにに自分自身が何にフォーカスして生きていったら良いのかを目視できるようにしたものです。

20代後半で会社員を辞めて、自力で稼ぐということを決意するわけですが、目的があまりにも高次すぎると具体的な戦術が見えてこなくなります。幸せになるということも、資金繰りをプラスにすることも、顧客を増やすことも全て繋がります。個々の欲求を羅列しても意味がなく、「欲求の集約化」が必要になります。加えて、時間という軸が加えられ、かつ視認性が高くわかりやすい欲求がまさに上記の図の赤の領域なのです。

人生という時間軸で制限のかかった範囲で、いかに幸福度を増すのかもしくは不幸度を減らすのかということにこれでフォーカスできるのではないでしょうか。

続きは後ほど。

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