「拘束され身動きできない状態」への憧れは、なぜ生じるのだろうかとふと疑問に思う時があります。
世の中には、あまりにも多くの選択肢が存在する一方、SMの世界、特にSMの手段である「拘束」においては、身体の基本的な動作さえも制限され、全ての選択肢を排除する非日常の時空があります。
緊縛によって、全ての選択肢を排除し、相手に身を任せざるを得ない状態となり、「快楽という心地よさ」や「その他様々な刺激」が、相手の意思によって決定され、受け入れざるを得ない状況となります。
「無数の選択肢がある日常」と、「選択肢の無い非日常」。二つの人生を行き来することで、心の安定を取り戻す。
緊縛とともに行う刺激により、ある女性は、
「身体は求めているのだけれど、心は求めていない」状態となったり、
逆に
「心は求めているけど、身体はもとめていない」状態となったりします。
そこは、刺激の強弱だったり時間だったり、いくつかの軸があるのですが、ある一定のレベルになると、心と体が分離する状態となります。
SMの初心者においては、「その状態に行くか行かないかのところ」まで持っていきます。超えられるのか超えられないのかは、人それぞれだからです。超えない方が良いという女性もいるし、超えた方がより面白い人生となるという人もいます。
SMの導入にあたっては、その分岐点あたりを目指すことになります。実は、その分岐点あたりの境地が、最も心地よかったりもします。
「SMを始めてよかった〜」と思う界隈です。