様々な諸事情があっても、男性に連絡せずにドタキャンをされた事例が、昨夜数ヶ月ぶりに発生しまして、なんともどうしたものかと。大人の年齢になったばかりの方で、そういった常識がなかったり、彼女的には、不可抗力だったりしたのだと思いますが、当方としましても、お付き合いはできないと判断せざるを得ませんでした。
ある人の行動によって、周辺の人間関係がダメになったり、当然ご本人と当方との信頼関係は崩れるわけで、一瞬の判断で全てがダメになったりもします。当方のように、安全な出会いのプラットフォームを利用できなかったり、人生におけるダメージは計り知れないのではないかと。
様々に調整して、出会いをアレンジしても、「やっぱりやーめた」という感じの事例も、2ヶ月に1回ほど生じますが、ある一定の割合や時期で発生するような、いわばバイオリズム的なものもあるのかなと感じています。
社会に、犯罪を犯す人が、一定数いるのと同じように、もしかしたらそれが世の中のバランスを維持するための必要悪であるかのごとく、簡単に信頼を壊す方もある一定数います。心の明かりと心の闇で、人はバランスを取っているかのごとく、全てが陰陽でバランスしている気がします。陰の部分は、必然なのかもしれません。
心の必要悪、人間関係の必要悪、社会の必要悪。そういった陰の部分に陥る陥らないのきっかけはなんなのか、疑問が湧きます。大きな流れの中で、そういった陰に陥らないというのが、人生を全うする上では最も大事なことなのかなと思います。
必然である「陰に陥る」とは、これは誰が決めているのかと考えると、「神の手」なのかなと思ってしまいます。
「お前は陰になれ」「社会の必要悪だ」
そうならないために、必要悪の存在は認めつつ、社会の、人間の、心の明るい部分に常にフォーカスしていく必要があるのかなと思います。
信頼を壊すのは一瞬でできます。しかし、信頼を培うのは壊すことよりもはるかに大きな「力」と長い「時間」が必要です。