この世界に「私」がいて、時間とともに、環境が少しづつ変化していく。周りの景色が、ちょっとづつ変わる。
経済環境も、自然環境も、法的な社会的な環境、倫理観や道徳観も少しづつ変わり、その変化に「合わせていく」もしくは「合わせていかない」の判断を自分でしていくものです。
この世に生まれてから、人はずっと成長していきます。原則右肩上がりです。その鼓動を停止するまですっと「成長」ではないでしょうか。体も変化し、心も変化していきます。ご自身の社会の中でのポジションも変化するし、優位に立つときも劣勢に立つときもあります。
「鼓動が続く限り」、私達は、生まれながらに変化する。つまり「立ち止まれない」という宿命を負っているのではないでしょうか。
外部的な変化によって、御自身の内部的な心や精神の変化を促されるときもあります。逆に、心や精神の変化によって、外部の景色が変わるときもあります。
日常における仕事も、「心の持ち方」によって、そのパフォーマンスも収入も変わっていきます。
非日常で言えば、SMを通じて、「心の変化やリセット」によって、日常の景色も変わっていきます。「出会い」によって、心の持ち様も変わっていったりもします。
SMの目的は「心や精神の健全化」とも言えるのかもしれません。そして、「立ち止まれない」という宿命に何かの価値を見出すとすれば、それは、「御自身の変化を楽しむことによって」、「心や精神の状態を最高の状態に持っていく」ということなのではないかと思っています。
「変化を楽しみにながら、時を過ごす」。
とはいっても、時折、ストレスを感じてしまいます。つまり、「立ち止まれない」ことによって、「心や精神にダメージを負ってしまう」時もあります。本来の目的や価値とは逆行してしまう場合も。
その場合には、ストレスの原因を、速やかに排除する。排除できなければ、速やかに忘れる。忘れられなければ、「楽しい思い出で頭の中をいっぱいにする」。緊縛による心地よさで、頭をいっぱいにしたらいいのではないでしょうか。
と、結論は緊縛に持ってくるといういつものパターン。(笑)