最初からこうあるべきだというSM観だと、それを受け入れるのか、受け入れないのかという話だけになって、出会った相手の選択肢が極めて狭まるし、何よりも面白くない。

新しいSM的な価値を作っていく作業という次のステップにいく前に、撃沈。

人にはそれぞれの生い立ちや生き方、考えてきたことや、見てきたことがあります。人によって全く違います。

こうあるべきだという主観の世界に、他人を誘い込むのは極めて難しい一方で、「こういう可能性だってあるよ〜」という間口を広げた世界観のほうが、新たな価値を探していく「旅」のチケットを相手に渡すみたいな感じで、なんか楽しそうだしエキサイトしそうじゃないかなと思います。

仮に次のステップに行ったとしても、目的に現実味が無いと、「きもい」で終わる。ここでいう目的とは、いわば、精神世界の話だったり。よくわからないけど。

先のコラムにも書いていますが、物事は極めてシンプルで、目の前にある目的を達成してから「個性」を出せば良いのではないかとおもうのだけれども、つい志向が突っ走ってしまう方も多々。目の前にある目的とは、「心地よさの探求」なり。

心地よさを探求し合えたり提供しあえたり、そういった作業の中に、信頼関係を深くしていくポイントがあります。それらを繰り返していくことで、さらに強固な信頼関係が構築され、その先でSMという精神の本質を探究すればよいのではないかと思う。

探求とは、「あるものを探して手に入れようとすること」。
探究とは、「物事の本質を探して見極めようとすること」。

SMをやる人は、「こういう人でないとだめ」というようなコラムを書き続けている私が言えたことではないけれども(笑)、

「SMをやる人はこういう人であるべきだ」という人間観は、出会いにおいて成功確立が高いという事実であるとともに、「M女性はこうあるべきだ」とか「SMとはこうあるべきだ」というようなSM観の示顕や思い込みは、出会いにおいては成功しにくいという事実があります。