冗談みたいな人生を本気で生きる。私の場合には、そのような考えで生を感じています。あまり本気になって、欲望ばかりだと苦悶するし、適当に流しながら、ダメなものはダメとか、やれないものはやれないといいつつも、自らの力を蓄えながら、いずれチャンスが到来した時に、一気にリソースを投入するような、そういったスタンスでいます。チャンスを待つ姿勢とでもいうのかもしれません。
「がむしゃら」という表現がありますが、それは何かの目標が見つかった時にやるべきで、常に「がむしゃら」だと、体も精神も持ちません。
とはいっても、なんだかこの歳になると、毎日目標が見えて、毎日30分単位で1日の大半を仕事で過ごす生活をしています。
今年は、なんとなくですが、「人生をかける大きな目標」が見つかるのではないかと思っていたところ、見つかりまして、合理的だし夢があって、冗談みたいな人生を本気で生きられるような目標を見つけ出しました。
ただ、私の事業の推進の仕方としては、おそらく大企業にも一般的な中小企業にも受け入れがたいものなのかもしれません。
基本的には、トライアンドエラーの連続で、まずはトライするということを心がけています。だから、途中で変わることもあれば、中止することもあり、それははたから見ると「何やってんだ?」とか「結局やってないやん」とかになる場合もある一方で、トライした先にある別のステージに立った時に、違う景色が見える時もあるのです。
様々な景色を見ながら、何が一番大切なのか、自分の人生にとってその目標を達成するためにどこの領域に踏み込めば効率的にゲットできるのかなどを考えながら、さらに次の一歩を踏み出すのです。
それによってまた見える景色が変わります。何らかの行動を起こす人の周りには、それを応援する人、さげすむ人、足をひっぱる人など様々現れます。その中で応援する人とおつきあいをして、人脈化し続ければいいと思っています。「し続ける」ということが大切で、その繰り返しの中で、50歳、60歳、70歳になった時に、「自己満足の最大化」をはかるべきです。