昨日ある方とシステム開発会社との打ち合わせ兼お食事会がありまして、渋谷の地鶏のお店で会食をしておりました。

その話しの中で、人生の選択肢について様々な意見交換をしていました。なぜ、その会社に入られたのか、なぜその業種に入られたのか、誰とであってなぜ結婚を決断されたのか等、その決断の中で様々な経験があって、偶然にそのような人生の方向性になったのだと・・・

人生には、様々な選択肢があって、何を選択するのが自分なりのベストなソリューションなのか、判らない。判らないからとりあえず何か自分でアクションを起こさないと始まらないけれども、そのアクションさえも、選択肢が多すぎて何から初めて良いか判らない。

じゃあ、部屋が汚いから整理するかとか、周りが整理されると頭も整理されるから、物や人との関係、感情をよりシンプルにしてみるか等と様々に考えます。

特に20代は可能性が無限なので、何をやったら良いのかの判断が非常に難しい。30代を超えてくると、少しずつ選択肢が狭くなるも、まだまだたくさん。何かの物事に集中し始めると、それを極めていこうという職人意識も生まれたりする。

日本社会において職人を尊重する文化は、おそらく、「方向性を決定した人生」、「ある物事を極めていく姿勢」へのあこがれを、その要因としているかもしれない。

SMという選択肢においては、あらゆる性の楽しみ方の一つの選択肢ですが、SMそのもの、そしてそのSMのツールである緊縛そのものへのあこがれは、職人へのあこがれと似ている気がしています。

緊縛とは、動きの選択肢を無くす行為です。相手に身を任せて、自信が「判断をしていかない」という行為でもあります。そこに、選択肢が無い状態へのあこがれ、言い換えれば「方向性が決まっている状態」へのあこがれがあるのかもしれないなと思うのです。

心や身体を解放せざるを得ない状態。もはや、その緊縛において、パートナーに身を任せてトビラの先への誘導に従わざるを得ない。

人生の中の一部の時間と空間を、そのような状態に時々持っていく。そうすることで、心と身体がリフレッシュしてしまう。心地よい、精神が安定する、なんか楽しくなる・・・そういった「無」の状態に時々自分の心を持っていく事が、人生を楽しむコツなのではないかと思います。