楽しめるときに楽しむ。わざわざ、不幸になる必要はなく、不幸を目指す必要も無い。「不幸であることが楽だ」と思うことは間違いだと気がつくのに、数十年かかったりもします。気づいたときにはもはや「経済的自立への欲求」であるとか「夢実現のモチベーション」が失われてしまい、力もないということも多々あるものです。「不幸を求めている」と気がついたのであれば、今この瞬間になんらかの修正が必要であると認識された方がよいのかなと思っています。概して、自身のことを知らない人が多く、実は「不幸を求めている」ということさえわからない人も多いので、書いても仕方がないといえば仕方がないのかもしれませんが、でも書きます。(笑)

いや、実は私自身そうなのかもしれないです。何かを犠牲にして、お金を稼ぎ、そして何かを求めている。それが幸せにつながっているのかどうか、それは幸せになってみないとわからなかったり。少なくとも、私自身の意識としては「不幸になりたい」とは思っていないのは確かなので、「不幸であることが幸せ」ということはあり得ないのかなと自問自答。

不幸であることが幸せであるとか、不幸であることが居心地が良いとかは、あまりお勧めはしません。なんらかの癒されない傷を覆い隠そうとしているだけで、見て見ぬ振りをすることが楽であるというのは「洗脳」というものに近く、もっと別なところに、より楽な道はたくさんあります。楽だとおもって逃げた先が楽な方ではなく、時間とともに苦痛が生成される「地獄」だったりもします。ちなみに、傷があるからといって同情されたりもしないし、そんな暇は他人にはありません。だからこそ、自分の中で、なんらかの解が出てきたらトライアンドエラーで、人生を修正するしかない。

自身の本質に触れること。それは怖いことかもしれないですが、それで一時、気が狂おうが狂うまいが、自身がいかに生きるのかの課題を解決しうる「土台」が完成するのは間違いありません。戦略が「楽になる」ことであるのであれば、その道の最短距離を行くべきで、その道標は自身の本質を具現化した変態行為の中にあったり、その行為の相手であったりもします。メンターが必要な方はたくさんいます。当会の担当者がそういったメンターであってもいいと思っています。

ちょっとした道標、ディレクションがあるだけで、人はいかようにも変わります。はい、宗教じゃないっすよ〜(笑)。

人生の失敗事例は無数です。過去何十億人という人が、人類の歴史で繰り返してきたことです。同じことする必要はなく、成功者を真似たらいい。何を考え何を実践したのか。何を選択し、何を選択しなかったのか。これを読んでいる人が20代や30代の方であれば、過去の失敗者や成功者のケーススタディをより多く今のうちに学ぶと、ご自身の目的は達成しやすいと思います。正直、帝国データバンクの破産情報を定期購読していたら、どうやったら失敗で失敗じゃないかが結構分かってしまいます。20代の頃はよく読んでいましたが、とは言っても私も大失敗しましたが・・・。とすると、読んで知識を蓄えてもあてにならないということを自ら実践してしまったのかもしれませんが、ゲームオーバーのルールが明確だったり、失敗からの復活が早かったり、「経験値を増やしてリスクをテイクして回避し復活する」ことができたのは、まさに20代の頃の勉強のおかげだった気がします。

kuinashi

幸せとは何か。人それぞれで、定義も違ったりします。「不幸になること」が幸せの定義であるのであれば、それも人によっては正しいのかもですが、私が認めないだけ。

幸せを追求するために、その目的を達しようともがいている過程が幸せだったりもします。それは認めます。人によっていろいろな思いがあって面白いのですが、ある一定のラインを超えると幸せと感じたり、ラインを越えないと不幸と感じたりと様々です。ある一定のラインを越えて幸せを享受しつつさらに「奥深くコクのある幸せ」を追求する時期こそが、シンプルに「幸せ」を実感しうる時期なのかなと思います。ラインというのもいろいろで、恋人であったりパートナーであったりお金であったり。

生きることになんらかの目標があった方がより楽しいと思っています。目標なく、ただ単純にその日その日の快楽を追求するというのもある意味幸せですが、その日その日の快楽(幸せ)を実感しつつ、未来の「さらなる幸せ」を追求することが、結構「幸せ」だったりします。そんなライフスタイルを提案します。

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