人は、誰かを利用し、誰かに利用されながら生きています。

その利用の対価を考えると、お金、情、愛とか筋などがあります。会社でいえば、安定、収入、年功序列、ビジョン、地位・・・ベンチャー、夢、その他・・でしょうか。

何に価値をおいて、どんな行動をするのかは、人それぞれですし状況にもよりますが、「恋人がいることで何を得ているのか」とか、「パートナーがいることで何を得ているのか」を考えるとわかりやすいかもしれません。

相手に何を与え、何を貰っているのかなど、全ての事象が双方向なのは間違いありません。

社会の中の個々人の行動の一つ一つが、「利用し」、「利用されている」というように説明できるものです。

そんなものは当然でありますし、それがいわば昔から言われている「支え合い」というものだと思っています。

人は、「支え合い」ながら、生きています。

あえて、その当然の現象を、「利用された」とか「利用する」という下品な表現にする必要はないと思っています。

いや、実はたまたまカウンセリングの中で、「利用されている」などの表現が出てきたので、ちょっと考えてみたんです。「利用されている」という表現そのものが一方向の解釈でしかないのかなとか、「されている」場合と同時に「している」場合が並存するのが「全て」ですので、あえてその一方向にフォーカスする必要はないのではないかと。

難しいですね。人って。

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「利用される思い」と「利用する思い」、そのバランスが崩れると不安や不満に繋がるのかもしれません。
感謝という気持ちを忘れてしまった時、「私はこんなに貢献してるのに、返ってくるものが少ない」と感じるのかもしれません。
支え合い続けるには信頼関係が不可欠で、信頼関係があれば一時的に「利用」のバランスが崩れたとしても支え続けられる。でも、信頼関係がなければその一時的なバランスの偏りで支え合えなくなってしまう。
相手を想う気持ちを双方が持っていないと成り立たないんですね。
本当に人間って難しいです。