年上の人生の経験が、なんぼのもんじゃ焼きな感じです。いや、「なんぼのもんじゃい」でした。私は、世の中に存在する人は、すべて「人生の素人である」という考えを持っていて、子供に対する対応じゃない限り社会人の年下の男性や女性にも必ず敬語で話をします。
「何語しゃべれるの〜?」
「英語とスペン語とタメ語〜」
ら抜き言葉ですみません。
タメ語って、どういう時に使うかということを考えるべきです。そこに、違和感の原因があるものです。
それは、
・心が通じ合い仲良くなったとき
・仲良くしようとするとき
・相手の能力や地位が自分より下のとき
・相手を馬鹿にしているとき
・相手と喧嘩しているとき
・相手が子供であるとき
・お金を払う立場のとき
そんな感じじゃないでしょうか。
正直いって、お金を払う立場でも私は使わないですが、そのサービスを提供する側を尊敬しない点で、サービスを受領する資格は無いと思っています。要は相手を下に見るときとか、馬鹿にしているときにタメ語は使われますよね。
心が通じ合っていない状況で、タメ語で話をされたら、おそらく「仲良くなりたいのかな」という思いよりも、「馬鹿にしてるのかな」という思いの方が強いと思います。
M性だからといって相手を「お前」とかそういった呼び方をするのも、同じで、SMだからといって無理に上の立場に持っていく必要はないです。無理に持っていくと、違和感が心に残って、それが増幅するので、1週間後には「おつきあいは無し」みたいな結論になったりもするものです。
相手を尊敬し、愛したいとすれば、タメ語にはならないはず。そして、仲良くなったら女性も男性も年齢に関係なくタメ語になりますよね。心が通じ合った状態、つまり違和感が払拭された状態となって初めてタメ語が使えます。
心の持ち方として、そのベースには「どんな相手にも敬意を払う」という考えがあったほうが、チャンスを無くすリスクは軽減するのではないでしょうか?