ども〜♪マキンコです。

モテる男性について〜関心事を外に向けるというコラムを先に読んでいただき、今日のコラムを読んでいただければと思います。執筆者のマキンコをクリック頂くか、PCなら右上の検索窓で検索して下さいね。

SMをやる人は「孤独感」や「閉塞感」から逃れるために他人を自分の一部にしてしまおうとしたり、自分を崇拝する他人を取り込む、または取り込まれることによって自分自信を膨らませる気がしています。自分自信を膨らませる目的は、「安心」とか「心の平穏」なのかなと思います。ヒラケイはどう考えるのかわかりませんが、私はそういう風に感じでいます。

「M」マゾヒスティックな人が「S」サディスティックな人に依存、いや、サディスティックな人もマゾヒスティックな人に依存してしまいます。両者とも相手が居なければ成り立ちません。そしてSな人は命令し、傷つけ、侮辱し、(これも人それぞれで、ヒラケイは過去のコラムを読むと多分もっと気楽なSMを提唱しているようです)、Mな人はそれを好き好んで受け入れます。一見、表面的には違うようですが根っこの感情面では同じではないかと思っています。

だから、役割交換が出来るパートナーさんもたまにいますし、結構現実的なものです。

しかし、そこには必ず「信頼関係」や「愛」がなければパートナーにはなり得ません。

さてヒラケイさんは愛に溢れているというようなことを書きました。ここで私がいう愛とは一つの対象ではなく社会全体に対して人がどう関わるかを決定する態度や方向性の事だと理解して読んでいただきたいです。

愛を持つということとは、簡単(コラムらしい書き方)に書くと

  • 「知りたい欲求が強い」もしくは「一体感を求めている」

フロイト的に書けば「究極的関心」であり、「愛は基本的に性的現象でありもっとも満足感を与えてくれるもの」です。

人を知るために極端にまで掘り下げると、「サディズム」になります。Sは人を苦しめたいという欲望であり、そうする能力です。人を拷問にかけ苦しめて秘密を白状させるという残虐行為がそれですよね。興奮します…ね。(笑)子供だって何かを知りたいと思ったら虫でもオモチャでも分解します。

人を完全に知る為のもう一つの方法が「愛」なのです。しかし、愛の前にまず思考(心理学的)によって「知る」必要があります。歪んだ目で相手を見ないためにもまず自分自身を客観的に捉える必要性があります。(自分を愛する)そうした上で相手の立場になってその人の本質を知る事が可能となります。

何も知らない者は何も愛せない。(パラケルスス)

愛とは、自分の一番大切なものを与えているのだと考えています。それは生命(エネルギー)です。人は他人を豊かにし自分自身の使命感だったり生命感を高めることによって他人のエネルギーを高めます。

「非日常が充実したら日常生活も充実する」。ヒラケイさんか提唱する理論の根底はここにあると考えます。

ヒラケイさんのコラムや生き方はマルクスの思想と似ているなぁ感じる事があります。

「人間を人間とみなし世界に対する人間の関係を人間的な関係とみなせば、愛は愛とだけ、信頼は信頼とだけしか交換できない。人々に影響を及したいと思うなら、実際に他の人々を刺激し影響を与えられるような人物でなければならない」

まだ私の経験上ではSMや愛の理論を語るには早いのかなと思う反面、もっと掘り下げて書きたい欲求も抱いております。ただあくまでコラムなのでなるべく分かりやすく書いていきたいです。

気が向いたら愛の練習について書くことにします。読んでいただきありがとん。。