人生とは何なのかといえば、冗談みたいなものかなというくらいに捉えておいた方が、よいかもしれません。あまりにも真剣になりすぎると、心の迷宮に陥ってしまいます。

SM行為は、人生のスパイスみたいなもので、SMそのものも、あまり真剣に捉える必要は無い気もします。あまり真剣に捉えようとすると、恐怖心であったり倫理観であったり、罪悪感であったり、様々な思いが錯綜して、これもまた心の迷宮に入って、何らアクションを取る事無く人生も終わってしまい、後悔だけが残ってしまいます。

心の動きのまま、自然体として力を抜き、トビラを開けばいいのではないでしょうか。

自然体で心の動きに忠実にアクションを起こせば、SM行為というある種フィクションであり、ある種真実であり、また人生のスパイスであり、異常性とも見受けられる拘束や様々な刺激を相手の意思に任せるマゾな世界がそこにあるわけで、この行為が自然体なのか自然体でないのか、心の中の必要悪なのか必要善なのか、様々な疑問が芽生えてきますが、

おそらく、SMとは、心の中に潜む自己実現欲求の一つで、その手段に過ぎないのかなと思っています。つまり自然の成り行きとも捉えられるのではないかと。

心の中が、様々にカテゴライズできるとするならば、SMとは、その心の一部を満足させるために選んだ一つの外部的内部的手段にしかすぎないのではないかと。様々な世の中の現象の中で、同じような満足感を得られるものを考えると、信仰による神への帰依による満足感とか、そういったものなのかなという気がします。

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